25周年を迎えた映画『Rockers』の監督、セオドロス・バファルコスが急遽来日。日本で初めて本作を上映したECが25年の時を経てご対面と相成った。

1981年から5年間だけ『Rockers』というジャマイカを舞台にした映画の配給をしていた事がある。当時は、今の様にインディペンデントの外国映画を配給する小屋はないし、フィルムの税関チェックや翻訳、スポッティングなど、何も知らないままによくぞ公開したものだ。それがOVERHEATという会社を作る事になり、レーベルを始めて日本のミュージシャンをプロデュースして、遂にはジャマイカの音楽をリリースし、コンサートを主催するという現在に繋がる。つまりOVERHEAT設立は『Rockers』が全ての始まりだ。

 この、思い入れのある映画が今年で25周年だという。この計算も日本公開を基準にしてくれたのは、アメリカのプロデューサー、パトリック・ホージーとチェリー。

 実際に撮影されたのは1977年で、79年のカンヌで大絶賛!  確か、この年のカンヌはフランシス・コッポラの問題作『地獄の黙示録』と『ブリキの太鼓』がグランプリを取った年だと思う。25周年DVDの監督インタヴューには「上映されたのは『地獄の黙示録』と同じ夜だったが、翌日の新聞には『Rockers』の事が一面に掲載されていた」と語っている。

 今はギリシャ在住のセオドロス・バファルコス監督が突然日本にやって来た。無念にも今年(05年)他界してしまったパトリック・ホージー氏とは何度かお会いする事があったが、バファルコス氏とは初めてなのだ。実は来日1週間位前に、チェリーから我が家に電話があり、来日を知っていたので、インタヴューというよりは、あのジャマイカで映画を撮る大変さを知る者としては、まずお会いしたいという気持ちで出かけてみた。

どんなきっかけでこの映画を作る事になったんですか?
バファルコス(以下B):当時の私はスチール・カメラマンだったんだ。NYマガジンの為に撮影に行ったのがブルックリンでやったジャマイカ人のショウで、若いオーガスタス・パブロを初めて観てビックリしたのがレゲエに興味を持つきっかけだった。シカゴの友人の所に行った時に長い行列ができていて、これは何か凄い事が起きるんだな、と思って僕もその列に並んだ。そうしたらボブ・マーリィの初めてのコンサートだった。ボブも素晴らしかったけど、バック・バンドがタイトでソフィストケイトされていてビックリしたんだ。

俺は80年代の前半〜後半にかけてパブロのアルバムを何枚か日本でリリースしているんです。彼が俺のオフィスに来た事もあるし、亡くなる数ヶ月前にはキングストンで会ったんですよ。ストイックな男だった。パブロが「映画の『Rockers』という名前は俺の曲からなんだ」と言っていたんですが、本当ですか?
B:そうだなぁ…皆で映画を撮影している時に、“Rockers”というのはその頃“カッコいい奴”というような使われ方をしていた言葉だったから、プロデューサーのパトリックがタイトルにしようと言いだして、いい響きだから僕も賛成し、ロゴは僕が書いたんだ。もちろんパブロのアルバムで『King Tubby Meets Rockers Uptown』があった事は知っているよ。

映画を作った時は何歳でしたか?
B:30歳でした。私自身若くて何も分らないから撮れたんだ。パトリックとの出会いと沢山の人の協力があった。とにかくジャマイカは大変な所で、その頃は選挙の度に600人位殺されたり、沢山のキッズが皆ガンを持っていてクレイジーだった。撮影中に部屋の外に100人位が集まってきて、窓を破って入ってこようとする奴がいたり……。サウンド・システムのシーンで「ポリスだ!」と言って逃げるシーンで塀を乗り越えて一番速かったのがリロイ・スマートだったよ。慣れていたのかな、ワッハッハ。

そう言えば昔、マイティ・ダイアモンズのバニーが僕を車に乗せて連れて行って「イシイ、ここはどこか分かる?」と訊かれたんだ。俺は分らないと言うと『Rockers』の車の修理工場の所だよ。俺達があそこで出演してるだろう?」って言われて分ったんだけど(笑)。9月にチャンネル1のあったマックスフィールドに行ったんだけど、昔と違ってかなりヤバくてロード・ブロックしてあるし、店も閉まってるし人も少ない。故ジャック・ルビーも出てましたよね。偶然彼にはオーチョリオスの彼のスタジオで会ったんですよ。主にキングストンではどこで撮影したんですか?
B:殆どの撮影はキングストンで、ホースマウスの家の周辺だったから、マックスフィールドの辺りだね。勿論ポリスも来ない様な危ない所だったけど何も問題はなかった。ダイアモンズは「バックウエイ・ヤ」を初めて聞いて凄く気に入った。

俺は84年にダイアモンズの初来日コンサートをやったし、アルバムも数枚リリースしました。全編レゲエが流れていて音楽こそがこの映画のメインみたいなものですね。
B:殆どの曲は映画より先に作られていたものだよ。でも殆どの曲がまるでこの映画の為に作られた様にぴったりで、音楽から映画が作られたと言ってもいい程で、僕がやったのは最後にスクリプトをまとめ上げた様なものだ。

 と、あえてここには書かないコアな話はどこまでも尽きなかったのだが、今回の来日の目的は75年頃から撮りためていたジャマイカやアーティスト達の写真と彼の文章を一冊にするプランが進行中らしく、その打ち合わせだという事なので、『Rockers』の詳しい裏話や当時の貴重な写真が近い内にに日の目を見るはず。しばしお待ちを!




「Rockers」
[Uplink / ULD-270]