前作『レゲエ馬鹿道場』から一年半、グっとパワーアップしたセカンド・アルバム『馬鹿話』を引っ提げて行われたH-Man初の単独ライヴ。パフォーマンスの方も『馬鹿話』同様、グっとパワーアップ。早速、笑いあり、涙あり、男臭さありのその模様をご紹介。

 H-Man は人間がデカい。ナリが、じゃなく、器がデカい。この日の『馬鹿話』リリース・パーティのステージは、それを雄弁に物語っていた。  トボけた話芸にスッキリ痛快なオチが身上のH-Manとはいえ、ぼくは、彼の全フレーズが等しく絶妙の切れ味を持ってるとは思わないし、必ずしも“笑うとこ”の全てで笑えるわけでもない。ところが、多少 “涼しい” 瞬間があろうとも、H-Man のステージは懐が深く、客席を丸ごとつかみきっているから、聴いてて、「あ、ここはこれでいいんだな」と思わせる。パフォーマンス以前の、根本的な存在感のレヴェルで納得させられる。

 そもそも、彼は最初から自分でいってる、『馬鹿話』だと。それは、「どうせ気楽な馬鹿話なんだから、固いこというなよ」、という後ろ向きのエクスキューズであるはずはない。馬鹿話だろうと、エグい下ネタだろうと、オレなりに料理してみせるぜ、という自信の現れだ。客席から観ていてその自信そのものを快く感じ取れるとき、細かいフレーズで笑えるかどうかなんてことは、全然たいした問題じゃない。

 会場に集まったファンはみんな、新作も含めてH-Man の録音物はほとんど聴いてるようだし、各オチ&メッセージをちゃんと知ってる。だから初めてのネタや笑いを求めてリリース・パーティに足を運んでいるのではないことは明らかで、要するに H-Man の傍若無人ぶり、その堂々たる立ち振る舞いを楽しみに来てるのだ。そこでお客さんの求めるものをキチンと提示できるのがプロの芸人としての必須の才能、価値だし、H-Man は確実にそれを持っている。観客の間に、充足感が満ちていくのが目に見えた。

 そしてぼくはショーの間、終始自分が、 H-Man が見事に掌握しているオーディエンスの一部分であるという自覚を持ち続けていた。別に気取っちゃいないが、踊りもしないでステージをじっと遠目に眺めていただけだが、何の疎外感もなく、ちゃんと客席の一体感の中にいることができた。そう感じさせることは、 H-Man が “客席を作れる” アーティストであることの証左以外の何物でもない。彼は、繰り返すが、客席を丸ごとつかみきって、ちゃんと自分の空間に作り上げた。ぼくは、そんな彼をステージ・マンとして信用する。その空間に属することを快感だと思わせるからだ。

 サポートしたおなじみホーム・グロウンは、慢性的なハード・ワーキン状態をクリアし続けるごとに、巧さに加えて、ますますレゲエ・バンドらしいタフさをまとってきている。シューティング・ゲームのハイ・レヴェルのステージを、余裕で御している感じ。ゲストのランキン・タクシーとムーミンも、それぞれに持ち味全開のパフォーマンスで、ショーに大輪の花を添えた。

 プロ達の仕事を観るのは、刺激的で気持ちがいい。逆にいうと、観る者に刺激を与え、気持ちよくさせるのがプロだ。そんなシンプルな、だけどプリンシパルなことを確認させるショーだった。