Coxsone Dodd
King Tubby
Lee Perry
Augustus Pablo
Geoffrey Chung
Ninjaman

 すべての音楽はストリート・ミュージックと、そうでないものに分類することができるのではないか? そう思ったのは10年以上前のことだ。僕がその当時夢中になっていたのは、ストリート・ミュージックだった。レゲエ、ヒップホップ、ハウス、ブレイク・ビーツ、ブーガルーに70年代のサルサ、スカ、荒々しいR&B、ロック・ステディ、オルガン・ジャズ、ダブという偉大なイノベーション、その中での折衷主義的なアプローチ…学校の教室の中の理論ではなく、街の生活の中の喧噪から生まれてきた音楽…。

 例えば、僕がショックを受けたのは、ダブやトーク・オーヴァーがまずスタジオ・ワークであったのは勿論だが、“ダンス”での経験を生かして形を整えてきて出来たということだった。このことは、恥ずかしい話だが、僕の目を覚まさせるような経験だった。ダブやトーク・オーヴァーが“ヴァージョン”を促し、またその逆も真であったということは、ストリート・ミュージックへの信頼感を強めさせた。その結果は言うまでもない。

 莫大な予算と、伝統、アカデミックな理論武装…そうしたものを僕は否定するものではない。そうした場所から生まれてくるカルチャーが素晴らしい結果を生み出すのも知っているつもりだ。しかし、レゲエが、DJが、ダブが、そうした場所から生まれてこなかったにもかかわらず、世界中の人々に影響を与えたことを体験していくにつれて、僕は勇気づけられた。それは僕自身がストリートの人間であるからに他ならない。僕は金も学校とも縁がなかった。僕には街の生活の中で経験していくことを書き留めていくことだけが可能なことだと思われたし、それがやりたいことの一つだった。そして、『Riddim』は僕に数少ないチャンスを与えてくれた場所だった。

 『Riddim』の功績をここで幾ら数えても数えきれるものではない。そう考えて僕は個人的な話から始めたのだが、実際、僕が書きたいような対象について扱うメディアは『Riddim』以外に幾つあっただろうか? ストリート・ミュージックとそれを包括するカルチャーについて、日本のメディアはほとんど無視してきたと言っていい。勿論、単発的な試みはあったのだが、持続してきたのは『Riddim』であり、それ以外ではない。

 実際、ダディECが言うように、ミュート・ビートというバンドが無視されるような時代があったのだ。はっきり言わせてもらえば、そんな国で、音楽ジャーナリズムもへったくれもないだろう。一方、この国のメインストリームであるかのように見えるロック雑誌の人間は、いつまでたってもレゲエやヒップホップの魅力に気がつかなかった。

 例えば、80年代が如何にレゲエとヒップホップについては黄金の時代だったか…そして、そのことを伝えようと始まったのは『Riddim』だったのである。僕はその場に参加出来て光栄だ。そのことはあらためて感謝したい。

 メディアが持続することが如何に大変か、僕はそのことは知っているつもりだ。そして、もし、何か気になることがあったら、多くの人々は街の中に存在している『Riddim』を手にとれば、そこに情報が詰まっている。それが何年続いてきたか? 1年? 3年? それとも5年? そうではない。そして、そのことは掛け値なしに尊敬すべきことだと僕は思う。

 僕たちは暗いトンネルの中にいるのか、それとも青空と恋をしているのか、それすらも判らないままに僕は今日もバスに乗る。そして、その時、脇にフリーのメディアを持って。素晴らしいことだ。20周年、本当におめでとうございます。





"Bring Down Da Riddim"
V.A.
[Universal / UICY-4115]


※「Riddim」20周年を記念してリリースされたCD。レゲエの発展に多大なる貢献を果たしたアイランド・レーベルの音源から18曲を厳選。更に7月中旬にはユナイテッド・アローズより「Riddim Tシャツ」も発売決定! 詳細は次号にて。