衝撃の復活劇から6ヶ月、遂にキングギドラの第二章の全貌を明らかにするフル・アルバム『最終兵器』がドロップされた。ヒップホップ界に落とされたこの最終兵器は、その名の通り、現在のシーンに喝を入れ、今後のシーンを変えうる最強の武器となるはず。


 正に衝撃の問題作。真に“最終兵器”となる一大傑作である。
 このところギドラのアクション、そして問い掛けを目に耳にしてきたヒトならば、彼らがあの時(『空からの力』)とは明らかに“違う”という事、そして今何故“ギドラをやるのか”について各々、納得いく解釈が出来ている事だろう。

まず、「今何故ギドラとして“動く”のか?」という“理由”については、ギドラの“リアルなメッセージ”こそが今のシーンにファンにそして社会に何よりも必要な事を、彼ら自身が客観視出来ている証に他ならない、と思われる。そのモチベーションとなったのは、一部の間では“芸能界系ラッパーたちがはびこる目に余る現状”とも言われているが、彼らがそのスコープの“標準”をそんな低いレヴェルに合わせている筈もない。

勿論そんなワックな連中も“一掃”するだけの強烈なリアリティ・シットがこの『最終兵器』には仕込まれている。しかしながら彼らの目線はもっと広く、そして遠いところまでを見据えている。肝心なのは、その先にあるものが何か、という事と同時に、その“視点がストリートにある”という事実だろう。アルバムのオープニング・トラック「最終兵器」でも、「こいつぁストリート・シット他は関係ねぇ、ヒップホップ的にはマジ完成型」(ジブラ)、「俺ら居なきゃ何も始まんねぇぜ」(K・ダブ・シャイン)とうたわれているが、要はそういう事である。

ストリート“気取り”のフェイクなものが跋扈する今、本当にリアルな層/人種はそういったニセモノにはまず反応しないものだが(例えば、金積んで渋谷の路上をジャックしたところで、それが本当にリアルなものでなければ何の意味もなさない)、いわゆる巨大メディアがそれを鵜呑みにし続けた事でストリートに居るハズもない“ストリートの教祖”(某TV番組での紹介例)を生んでしまった。

そんな存在にも彼らはボーイ・ケンをfeat.した「公開処刑」でジャッジメントを下している。ギドラは元々そういう諸悪を駆逐する存在だった。冒頭で彼らが“あの時と違う”と書いたのは、その役割やモチベーションが、シーンの拡大や高騰により更に強大になった事だけを指している訳ではない。K・ダブ・シャイン、ジブラ、DJオアシス各々がソロ・アーティストとして確実な進化を遂げているだけに、ガップリ組んだ時のそのメッセージの重さや表現力のビット数もまた凄まじい、という事なのだ(“成長”は決して変化ではない)。

“薬物”中毒者のバッド・ケースを描きつつ、そこにメッセージとしてのフックを注入した「トビスギ(Don't Do It)」(「White Lines」使い)、DJオアシスのパートから始まる“繋がりの本質”を突いた「友情」に、リアルな音楽を求めてる人にはまずこの曲だけでも聴いて欲しい国家への問題提起楽曲「真実の爆弾」、また先行投下された「911」(アルバムにはオリジナル・ヴァージョンを収録)や「ジェネレーション・ネクスト」、そして「Unstoppable」、「F.F.B.」に「平成維新」(feat. 童子-T&ウヂ)……またただのBack In The Days物ではないその視点がディープな「リアルにやる」に、説得力充分のマネー・トーク「マネーの虎」と、ズシリとくる全13曲(アウトロはインストの「夜明け」)。

 DJオアシスが中心となるサウンド面での“映像感”もリアルならば、投げかけられる研ぎ澄まされた言葉、フレーズの一つ一つもあまりにも生々しい。その含蓄の重量感が際立ちながらも決して重苦しくなく楽しめる=ロックさせられるのは、彼らがパーフェクトに“エデュテイメント”(○cKRS-One)出来ている証拠となろう。ジブラのパートにもある「聴けば聴くほど体から毒が出る」という感覚を、より多くの“真実を求める若者たち”は味わうに違いない。
 「どこ相手にしてもリアルに言う これがギドラが真剣にやる理由」(「リアルにやる」より)

 そしてギドラは今、このアルバムでそれ自体が多大な影響力を持つビッグ・メディアと成った。ストリートの周波数に合わせれば聴こえてくる電波…。本物の奴等は、腐った金のニオイがプンプンする“通りのヘビロ”を無視してこの音を爆音で鳴らすベキ行替リアル・ヒップホップのお通りだ。