確か去年の師走。とある音楽事務所に用があって受付で担当者を待っていたら、ふいに後方から呼び止められた。その声ですぐ誰か分かったけど、振り向くとやっぱりリトル・テンポのTicoがニコニコしていた。そしてTicoのやや左斜め後方にはTicoとほぼ同じ背丈の見知らぬカワイ娘ちゃんがちょんと立っている。「今度、この娘のアルバムをプロデュースするんだ」とTico。真正面からその娘の顔を見たけどちっとも誰だか分からない。はて? 「よろしくお願いします」とそのカワイ娘ちゃん。「それじゃ土生君、作品楽しみにしとくね」と言って別れたものの、アイドルとかモデルとかチンプンカンプンな僕は、そのカワイ娘ちゃんが一体誰なのかさっぱり分らなかった。そして「たぶんラヴァーズでも作るんだろうな」と何気に思いながら事務所を後にした。

 藤田陽子…「80年生まれ。女優として映画『模倣犯』にも出演。モデルとしても『CUTiE』から『装苑』まで女性雑誌で活躍中」(プロフィールより)

 歌唱=藤田陽子、プロデューサー=土生“Tico”剛、サウンド・パトロール(?)=内田直之によるこの『あたいの涙』は、彼女にとってデビュー作となる。女優であり超売れっ子のモデルの処女作となれば、彼女のイメージを壊さぬ様に多少なりとも少女趣味的なロマンチックな作品になるだろうと想像するのは、真っ当な事だと思う。でも、Ticoはやらかしてしまった…。

 「青山とかのカフェとかパスタ屋ばっか行ってる娘だと思ってたのね。そしたら意外とファンキーでズンドコな娘だったのね。あっ、そう。じゃ呑み屋でもいいのねって」(Tico)

 こうして二人はお互いの好きな曲を詰め込んだテープを交換したりしながら呑み屋などで構想を練り続け「全部日本語でやろう」という共通認識を得るに至った。その後の会話がどう交わされたか知らないけど、結果、藤田陽子のファンキーかつズンドコな一面がTicoにぐぐっと増幅され、こんなアナーキーな作品を生み出してしまった。本作を昭和歌謡などと評するのもいいけど、やはりTicoのレゲエマンとしてのこだわりと雑種的なパンク精神が見事に貫かれたからこそ生まれた作品だと僕は認識する。

 Ticoの話ばかりしてしまったが、主演女優の藤田陽子の唄はかなり魅力的だ。彼女の唄はとりわけ上手い訳ではないけど、詞のテーマや曲調によってガラリと色を変え、それぞれツボにハマった唄を聞かせてくれる。冒頭の「狂言」「イカレポンチのブルース」や「あたいの涙」ではジャケットの世界そのままに妙にドスを効かせているし、初々しいトースティングも見事な「落とし穴」や「星の下でキラリ」ではキュートに、「ひとりぼっちの海」や「まどろみ」では儚げに、そして高田渡、黒川修司、太田裕美などのカヴァー曲では自分色に染め上げ…と、これぞ優れた女優だからこそできる技なのだろう。

 参加アーティストはと言えば、佐々木育真、Seiji Big Bird、Hakase-Sun、大石幸司、春野高広、田村玄一、田鹿健太、内田直之といったリト・テン一派はもちろん、こだま和文、ピアニカ前田、石井マサユキ、大野由美子、井上青、二羽高次、斉藤景子etc.…と本誌読者には見知った名前がズラリ。それぞれやりたい放題だが、Ticoがそれぞれのアーティストの個性を見抜き(時には潜在意識を呼び覚まさせ)、適材適所に配し、的確な指示をしたのは明確。内田直之のミックスも遊び放題だが、レゲエマンとしてのツボは心得ているし(特にショウケース・スタイル的なタイトル曲は圧巻)、マスタリングを担当したリト・テンやこだま作品でもお馴染みのKevin Metcalfeの仕事も一流の職人技をみせる。

 個人的には唄入れ当日にTicoの電話一本で歌いに来てしまった二羽高次との掛け合いが功を奏した「俺らのあの娘はコザ育ち」がお気に入り(既にTicoがロンドンのクラブでこの曲をDJプレイした際、盛り上りまくってカマゲンを3回もしたそうだ)。レゲエ・ファンなら井上青が絡むAndre Popp作曲の名作「恋はみずいろ」は近年のマッド・プロフェッサーのトラックに近いヘヴィ・ルーツなトラックに、原曲通りの甘美なメロディと藤田陽子のちょっとエッチ風味な歌声が絡むミスマッチ感がたまらないだろう。

 それでは最後にプロデューサーのお言葉を…。
 「これやってる時は、丁度忙しい時でほんと死にそうなくらいフラフラで作り上げたアルバムだから、みんなフラフラになって聴いてくれ」