こだま和文の重音(DUB)生活20周年を記念して、彼が関連した様々な作品がリイシューされる。更に秘蔵の音源や映像もリリースされる等、ファンにとっては嬉しい限り。決して平坦ではなかったであろう彼の経歴を追ってみよう。

 ジャマイカ独立から40年、そのちょうど半分の約20年間を、ジャマイカ音楽40年史の深層と響き合ってきた別名エコーの人がいる。日本にレゲエ、ダブの道を切り開いて20年になる元ミュート・ビートのこだま和文がその人だ。そう、声なきうたをトランペットの哀調のメロディーに託し、80年代には今日のリトル・テンポやドライ&ヘビーの礎となるミュート・ビート、また、逆境にも屈しなかった90年代の終りにはソロで自身のダブ・ステーションにと行き着いたこだまの今年が“重音(ダブ)生活20周年”というわけなのだ。

 そんな機を捕え、この9月にはこだま和文20年枠の作品の数々が初CD化、紙ジャケ復刻や初アナログ化を含め、一挙に店頭に並ぶ。オーバーヒートからのKodama & Gota、6年越しの蔵出しライヴ盤(96年12月21日に心斎橋クラブクアトロ公演を収録)と初のアナログ盤(しかもリマスター)となる『Mute Beat Dub Wise』(ダブ始祖の故キング・タビー、それにリー・ペリー、宮崎“DMX”泉の3者ミックスによる89年作。アート/ワークは故ナンシー関)を始めとして、ポニーキャニオンからはDSDマスタリングによるミュート・ビート初の編集盤『14 Echoes + 1』とオリジナル4作品(87年の『Flower』、88年の『Lover's Rock』、89年の『March』、89年の『Live』)の紙ジャケ復刻、また、ビクター/スピードスターからはミュート・ビートからソロにまたがるレア音源含みの初編集『Kodama (Echo) From Dub Station 1982 / 2002』もDVD映像付きで登場と、今秋はまさに胸に染み入る“こだま/エコー”の秋、そんなこだまに今改めて20年分の感慨を覚えるところでもあるわけだ。

 振り返ると、こだま和文のここまでの20年間というのは、信念を曲げず深化を続けた20年ということになるかと思う。そして、その創作史に出てくる名前も故ローランド・アルフォンソ(スカタライツの名サックス奏者。渡航ビザを巡る問題から88年のクラブ・クアトロのオープニング・イベントに滑り込みセーフとなった話も今は伝説。オーバーヒートから『R.Alphonso Meets Mute Beat』としてCD化)、故キング・タビーと故オーガスタス・パブロ(この2人による『King Tubby Meets Rockers Uptown』はダブ永遠の名作。メロディカ仙人のパブロはミュート・ビートの初期12インチ「Still Echo」に参加)、また、リー・ペリーやリコ・ロドリゲス(94年のこだま制作の映画サントラ『集団左遷』=後に『Dread Beat In Tokyo』と改題=で共演)、更にロイド“ブルワッキー”バーンズ(NYのレゲエ・プロダクション、ワッキーズの主宰者。『Dub Wise』にも参加しているが、99年作『Requiem Dub』で旧交を暖める)と、彼の音楽人生を決定づけた会うべくして会った人たち、心からのリスペクトの対象ばかりということになる。で、ボクはといえば、そんなこだまを“いつか来たこの道、帰る道”みたいな郷愁もある心象風景の音人、もしくは“武士の情けを持った音のクワイエット・ゲリラ”みたいな像として眺め、ここまでずっと思いを通わせてきたような気がする。

 今は英国を拠点にして久しいGotaこと屋敷豪太(彼の今日を約束したシンプリー・レッドへの初参加作『Stars』がこだま00年のソロ作と同タイトルなのも奇縁?)や朝本浩文(UAが歌う「リンゴ追分」や「月光ワルツ」は彼との縁)が在籍したことでも知られるミュート・ビートの結成は82年。確かに20年前のことだった。画期的にもメンバーにはミキサーの宮崎“DMX”泉(今日リトテンやドラヘビを手がける内田直之の先駆例)を含み、こだま(当時は小玉。tp)、増井朗人(tb。近年はケムリでも活躍)、松永孝義(b。日本No.1のドープ・ベーシスト)、それにご存知Gota(ds、vo)の5人で構成されたミュート・ビートはクラブ・カルチャー黎明期の原宿ピテカントロプスや六本木インク・スティックに結成当初のライヴ伝説(ミュート・ビート『No.0 Virgin Dub』は木箱入りカセット+アート・マガジン『Tra No.S06』をCD化したもの。NYのRoirから『Japanese Dub 』として配給され、当時のピテカン、インクでのライヴ気運も伝えるこれは英エコーズ紙にもホメ賛えられた。“エコー、エコーズ紙で絶賛!”というところか)を刻むスタートとなった。そう、今日までずっとこだまの創作史を見守り続けた本誌『Riddim』の創刊もちょうどその頃(83年創刊ということは、来年で20周年!)のことだ。

 そこからはいつの間にかの20年…Gotaのメロン/ウォーター・メロン通過の渡英や朝本を始め、内藤幸也(g)、北村賢治(key)の新加入もあったミュート・ビート(これも画期的だった89年のUSツアーはPA設備のないサンフランシスコ、LAの会場へと乗り込んだ“無謀ツアー”としても語り草!)の解散はそれが区切りを思わせた90年、そして、それからのこだまはよりパーソナルに自身の音宇宙と交信する今日のソロ・キャリア(92年の初ソロ作『Quiet Reggae』がそこからの第一歩)へと向かう。逆境にあっては木版画やエッセイ(著書には『スティル・エコー』と『ノート・その日その日』がある)にその才を示し、頑固一徹になればなるほどにシンパも増えていくというのが、ボクから見たこだまの90年代。そして、フィッシュマンズを始めとする敬愛プロデュース仕事の数々を経た99年11月20日には本誌『Riddim』の創刊200号記念イベントとしての「こだま和文&フレンズ」が開催され、ランキン・タクシー、DJクラッシュ、土生剛(リトル・テンポ)、ムーミン、さらにNYから駆けつけたロイド・バーンズなど、これら新旧のこだまシンパが彼の『Requiem Dub』に始まる“ダブ・ステーション”という概念の宇宙の下に集うところとなった。そう、これ以降も鈴木清順の極彩色美学をブルー・ビート美学の音で演出した映画『ピストルオペラ』のサントラ(エゴ・ラッピンの中納嬢が歌う「野良猫のテーマ」は以前のUAのものと双璧)や土生剛と内田直之とのプロジェクト、KTUの録音でも、周囲からのリスペクトを集めるこだまの“今”は、自身の20年がかりで築いた“ダブ・ステーション”の自由と共にある。

 “継続は力なり”とは言うは易し、行うは難しの言葉だろう。が、こだま和文は一人の人間が成人するまでの歳月を、自ら信じた音楽で苦楽を乗り越え、それを味わい深いものとしてきた。亡きオーガスタス・パブロには悪いが、世界でいちばん夕焼け空が似合う男として。


 こだま和文と共にMUTE BEATを結成し、その後こだま同様、我が道を突き進み続けるGOTA。『KODAMA & GOTA / LIVE』のリリースを記念して、彼にMUTE BEAT結成当時の話やKODAMA & GOTAの思い出話、更に今後の予定等を訊いてみた。

●“こだま和文重音(DUB)生活20周年”なのですが…という事はGotaさんも20周年になるんですよね。
Gota(以下G):そうね、僕が東京に出てきた82年に『Player』って雑誌のメンバー募集見て、それで入ったのが(ミュート・ビートの前身の)ルード・フラワーだったのね。その時はダブ・バンドじゃなかったね。ちょっとレゲエの雰囲気はあったけど、ラテンの雰囲気もあったね。で、もっと新しい横乗りのダブッぽいものをやりたいねって、こだまさんと僕とベースの松本さんが抜けて…。で、“如何に音を抜くか”っていう所を目指そうっていう話になって、勘違いかもしれないけど“ミュート・ビート”って名前が出来たのね。最初トランペットとベースとドラムの3人でリハスタに入ったんだけど、もうちょっとコード感があった方がいいかなって。でも、レゲエにはギターとサックスは絶対あったから、逆にそれは嫌だって(笑)。じゃあアコースティック・ピアノだって話になって、(坂本)ミツワが入る事になって。そうやって始まったんですよね。多分それが82年の夏〜秋辺りだと思うよ。ほんとに20周年って凄い事なんじゃないかな。

●その後、ミュートと並行してメロンとかもやってましたよね。
G:ピテカントロプスだね。83年かなあ? そこでミュート・ビートをレギュラーで出すって話になって。そしたらプラスチックスのトシちゃんとチカちゃんが、このバンドは面白いからメロンのバックでもやってくれって。僕らはとってもゆったりしたレゲエやってたんだけど、あっちはNYから帰ったばっかりでダンス・ミュージックやっててね。ま、それはそれで面白かったから僕らも手伝ってて。で、暫くしてトシちゃんとヤン(冨田)さんが夏だしエキゾチックなものやりたいって話してて、それでウォーター・メロンやろうって。で、ウォーターは水だから毎週水曜日にやって(笑)。あとメロンのレコーディングで初めてロンドンに行って日本以外の世界を初めて知って。色んな人種がいてね、それが自分にとってはかなり衝撃的でね。人生一回しかないし、ロンドン行くしかないやって行っちゃってね。いろいろあってね、このままじゃ迷惑掛けるから抜けるわって。一年くらい行ってくるつもりだったんだけど、未だに行ってるっていう(笑)。

●その後、イギリスでの活躍は凄いですね。音楽シーンを変えましたからね。
G:たまたまですね。ちょうどそういう時だったんじゃないのかな? 機材的にも環境的にも。ソウルIIソウルのあの頃って丁度サンプラーが出来たとかね。スタジオとか面白かったもんね。みんな全然お金ないからいつも土日な訳よ。「土日にピンク・フロイドのスタジオが借りれるぞ! しかもタダで!」って話があると、みんなでダーっと行ってね。朝までやってドロドロになって帰るっていう(笑)。

●その後、ソロ・アルバムや様々なユニット、そしてシンプリー・レッドでの活躍は目覚ましいものがありましたけど、そうした活動の中でこだま和文さんと96年に組んだKodama & GotaはGotaさんにとってどういう位置付けですか?
G:たまたまいい機会があって、やって良かったなと思ってますよ。あと、こだまさんがよくロンドンに来てくれたなあって。で、お互い曲を持ち寄って、ロンドン来たらロンドンの空気で又いっしょに曲作ろうか、みたいな感じで始まって。凄い楽しかったってのが思い出ですね。その後、ライヴもやってね。

●Gotaさん自身、久しぶりにレゲエに取り組んだ作品になりましたよね。
G:ソロでも1〜2曲入ってるけどね。こだまさんと会うとね、特にこだまさんとダブをやるのは楽しいし。僕がミュート・ビートを離れた理由ってのは、ライヴを何回も何回も出来なかったの。メロディがあって、それでダブに入っていく。そのダブに入っていく中で、即興的なものなんで、それを何回も何回もやる訳にはいかなかったのね。変な事やりたくないし、決まった事やりたくなかったし。凄く神経が疲れちゃうって言うかね。だからこだまさんとやる時はいつもそんなテンションがあるんだよ。こだまさんとミュートをやってた時はライヴ中心だったから、いっしょにレコーディングしたのも2枚位しかないしね。スタジオでいっしょに作り込んだってのはこれが初めてだったかもね。

●制作が終わって、すぐにライヴをやろうって思ったんですか?
G:作ってる時にはあんまりライヴの事は考えなかった。作り終わって、PVを作りにポルトガルに行った時かな? その時にライヴをしようね、って話をしたのかなあ…。

●それが具体的になってきてメンバーを選ぶ際、あのメンツがすぐに思い浮かんだのですか?
G:そうだね、こだまさんの友達、あとはミュートのメンバーを呼んでみようよって。確か朝本君にも声を掛けたんだけど、超売れっ子で忙しくって…。ベースは絶対松永君しかいないだろうって話だったし、あと増井君とかもね。

●メンツが決まり、初めてリハーサルに臨んだ時はどんな雰囲気だったんですか?
G:みんな「やろう、やろう」みたいなね。東北沢のスタジオだったと思うんだけど、とっても和やかな感じでね。昔話したりとかね。初めて会った北村君とか内藤君とも話たりして和やかだったね。

●初日のライヴは渋谷クアトロですね。
G:音を出してない時は和やかだったけど、音を出した瞬間からやっぱりテンション上がってきてたね。Kodama & Gotaをやる前って、こだまさんってあんまり活動してなかったでしょ? だからこだまさんも割とテンション上がってたよね。

●今回リリースされる『Kodama & Gota / Live』は最終日となる大阪公演ですね。
G:うん。東京、名古屋と来て、大阪が最後で。それが終わったら今度いつやれるか分かんないから、かなり哀愁の漂うライヴだったかもしれないですね。だからアンコールもやたら盛り上ったし、ミュートの曲もやったしね。

●Gotaさんにとってはミュート時代の曲は当時、10数年ぶりですよね。
G:不思議なもんで覚えてるもんだよね。大阪のライヴは結構東京や地方の人が観に来てくれたのを覚えてるなあ。もうこれで観れないと思うと、ってね。とっても温かい雰囲気の中でやれたかなあ。

●今回、マスタリングもGotaさん本人が手掛けましたよね。久々に隅々まで聴いてみてどうでしたか?
G:思ったよりもちゃんとやってるじゃんって思ったけど(笑)。出来としてはみんなそれぞれ個性が出てるし、良い調子だったと思うよ。特にこだまさんのトランペットの音は良かったね。マスタリングする時は、とにかくトランペットの音が良いようにって。20周年記念だし(笑)。あと松永君との絡みも面白いんだよね。聴いてるとテンションが出てるなって。いっしょにやると燃えさせてくれると言うかね。増井君は相変わらずほんわりさせてくれると言うかね(笑)。普通、ライヴ・アルバムってMCってそんなに入んないけど、今回は敢えて入れましたね。こだまさんがレコーディングの時の思い入れを語ってたんでね。

●ライヴ後、何人かに「やっぱり行けばよかった」って声をたくさん聞きましたよ。
G:後の祭り(笑)。でも、今までもそうだけど、本当に自分がやりたいソロ・アルバムを沢山出せてないから、こだまさんは偉いと思いますね。そういう意味では僕も負けてられないなあって。

●という事はそろそろ久々にソロ・アルバムを作るという事ですか?
G:(笑)そろそろソロを。来年、再来年位からドシドシ出していこうかなって思ってます。あと、その時にこだまさんと話した事なんですけど、こだまさんがソロ出すよって言って、で、僕もソロ出したら今度またKodama & Gotaやろっか、って。それがまた10年後になるのかも(笑)。ま、そのくらいのペースだっていいじゃないですか(笑)。