今コーナー第2弾は、リー・ペリーの登場。その特異なキャラクターに注目されがちだが、実はブラック・アーク期を中心に数々の素晴らしい仕事を残した天才的な職人だ。レゲエ・ファンのみならず、全音楽ファン必読。

Text by Takeshi Fujikawa

 スクラッチ、リトル、アップセッター…数々の異名を持つリー・ペリーは、36年ジャマイカ生まれ。50年代末からコクソン・ドッドの下で働き始め、60年代初頭からはプロデュースを開始する一方、自らヴォーカリストとしても活動した。以来、アイランド契約前のウェイラーズの素晴らしい作品を手がけるなど、40年を超えて現在でも一線で活動し続けている。

 そんなペリーの長い活動をこのスペースでフォローするのは無理なので、ここではダブ・マスターとしてのペリー、中でも74〜79年、ペリー自身が興したブラック・アーク・スタジオでの活動に焦点をあてたい。しかし、ペリー名義で出されている作品は、かなりの量なので、ここでは触れることの出来ない作品が多数あることをあらかじめお断りしておく。

 ブラック・アーク完成前、ペリーは、リズムはダイナミック・スタジオ、オーヴァーダブやミックスではキング・タビーのスタジオを主に使用していた。この時期の作品としては、英トロージャンからの『ジ・アップセッター・ボックス・セット』の第一集で復刻された『リズム・シャワー』等で聴けるが、この時期の作品は、ダブのプロトタイプという感じで、ヘヴィなベースは聴けるけれども、ダブダブではない。

 しかし、72〜73年にタビーとペリーが組んで生まれた『ブラックボード・ジャングル・ダブ』は例外。これは、ペリーのプロダクションをタビーがミックスしたスタイルで、ミックスまでその全てをペリーが手がけたブラック・アーク期の作品と単純に比べる事は出来ないが、2人の才能がぶつかった素晴らしい作品であると共に、ペリーの以後の作品を示唆する重要作だ。

 72年末から建設に入ったブラック・アークは74年キングストンに完成。ここを拠点にペリーは質量ともに充実した作品を生み出していく。ここでの最初期の作品はジュニア・バイルス「カーリー・ロックス」等で、この時期の音源は、ペリー研究家のデイヴィッド・カッツが編集した英モーションからの『ボーン・イン・ザ・スカイ』をはじめ多くの編集盤等で聴くことが出来る。しかし、ペリー名義で出されている作品には、得体の知れない物も多く、玉石混交なので気をつけたほうが良いだろう。

 そんな中、ブラック・アーク初期の作品で面白いのが(1)。この作品は前出『ブラックボード〜』と同じタビーとの組み合わせだが、前掲作は異なり、ペリーとタビーが半分ずつミックスを担当したもの。これを手がけたウィンストン・エドワーズは、彼の母方のおばがジョー・ギブスの母だったことをきっかけに、ギブスとも仕事をしていたペリーと知り合い、仕事するようになった人物。彼は、74年に渡英し、ギブスのイギリスでの流通を担当していたが、一方、自身のレーベルを興し、制作も開始した。

 そんなエドワーズが自身のレーベルで制作した(1)は、両巨頭のミキシング競演盤として聴き応え充分だ。ちなみにジャケットの裏面にはタビーとペリーそれぞれが使用していたミキサーの写真が載っているが、ペリーはサウンドクラフト社の16チャンネルのミキサーを使用していた。マルチレコーダーはティアックの4チャンネルだったというから、機材はチープだったけれども、ペリーは、既製の音楽にとらわれない自由で大胆なフェイジングや独特なリヴァーヴ使いで独自のサウンドを生み出す。それが一段と凄みを増し、独自のスタイルとして確立していくのが76年以降だ。

(1)"King Tubby Meets The Upsetter at the grass roots of dub"
[Fay Music Inc / FMLP304]

(2)"Arkology"
Lee Scratch Perry
[Island Jamaica / CRNCD 6-524 379-2]

(3)"Upsetter in Dub"
Lee Scratch Perry
[Heartbeat / CD HB77]

(4)"Natty Passing Thru' "
Prince Jazzbo
[Black Wax / WAXLP1]

(5)"Heart of the congos"
The Congos
[Blood & Fire / BAFLP009]

 76年からはペリーの作品がアイランドを通じてもリリースされた。アイランドからは、自身の『スーパー・エイプ』、マックス・ロメオ『ウォー・イン・ア・バビロン』、ジュニア・マーヴィン『ポリス&ティーヴス』、ジャー・ライオン『コロンビア・コリー』、ジョージ・フェイス『トゥ・ビー・ア・ラヴァー』等の作品が発表され、これらは今でもレゲエ史に残る名盤として光を失っていない。ペリーのベスト・ワークがアイランドからリリースされているといっても過言ではないほどの作品群だ。これらは全て必聴だが、何を置いても入手すべき作品としてこれらのアルバムからの曲も多く含むアイランドが97年にまとめたCD三枚組の(2)と、同時期のダブ集として、米ハートビートからの(3)を勧めておく。

 この時期、ペリーの歌物『ロースト・フィッシュ、コリー・ウィード&コーン・ブレッド』や、ジャズ的な要素も導入された『スーパー・エイプ』の続編『リターン・オブ・スーパー・エイプ』といったアイランドからはリリースされなかったものの聴かなければならない作品がたくさんある。(4)(5)もこれらと同様にアイランドからはリリースされなかったものの重要な作品。(4)は、79年にクロック・タワーから『アイタル・コーナー』としてリリースされることになる作品だが、ここでは76年のオリジナル盤を挙げて置く。「ウォー・イン・ア・バビロン」と同リズム等でのプリンス・ジャズボのDJが光る好盤。ヘプトーンズ、ギャザラーズ等とコーラスものも多く手がけたペリーだが、(5)はアイランドから出なかったこと自体が不可解なルーツ・コーラスの傑作。ここでは、別ヴァージョンも多く収録されたブラッド&ファイアからの再発盤を挙げたい。浮き上がるハイハット、象の鳴き声のようなSE、宙を歩いているような感じにさえさせる感覚、唯一無二の音色…、ブラック・アークのベスト・ワークがここにある。

 ブラック・アークはポピュラー音楽史上に残る数多くの傑作を残しながら、79年に破壊されてしまう。ペリー自身が手を下したという説もあるが、アイランドからの金銭援助があったにもかかわらずペリーの浪費により再建は叶わなかった。ブラック・アークは80年代を待たずして伝説となってしまったのだ。ブラック・アーク亡き後もペリーは、数多くの作品を放ち、いくつかの注目すべき作品も発表しているが、あの時代の才気漲るペリーを超える作品には未だにお目にかかれない。