HOME > 308 > ALTON ELLIS / R.I.P.

topics

308    ALTON ELLIS    ARTISTS

ALTON ELLIS
 R.I.P.
Text by Masaya Hayashi / Photo by Shizuo "EC" Ishii
 

 一度は癌を克服し、ショウに出演するまでに回復していたアルトン・エリス。11月には久々の来日公演も予定されていたのだが、先日帰らぬ人となった。公私ともにつきあいがあり、先述の来日公演も企画していたRock-A-Shackaの林正也氏に追悼文を寄せてもらった。
 
癌との闘病を続けていたアルトン。それでも、彼の音楽への情熱は一切衰えることはなかった。ドリームレッツとの来日公演に対しても常に前向きで、必ずや日本のオーディエンスに素晴らしいステージを見せると約束してくれていた。しかし、悲しいことに、2008年10月11日、彼は永眠することとなってしまった。
 
Order of Distinction=O.D.(名誉勲章)をもつジャマイカ最高の歌手も、そのキャリアの始まりは、当時どのジャマイカの歌手もそうであったように、「ヴェー・ジョン・オポチュニティー・アワー」というタレント・コンテストから始まった。エントリーした当初はダンサーとして登場。しかしその後、歌手として類い稀なる才能を発揮し、プラターズやシャーリー&リー、ロスコー・ゴードン等のUSソウルを歌った。
 
その後、これまたジャマイカ音楽最大の功労者にして最高のプロデューサー、サー・コクスンの下、トレンチ・タウン8番街に住む友人ジョージの書いたラヴ・バラッド「Muriel」から、そのレコーディング・アーティストとしてのキャリアをスタートさせる。この曲は彼が生涯とても愛した歌で、生前いつもステージで「この曲が一番好きなんだ」とMCを入れて歌っていた。
 
7年前の来日公演の時、どうしてもアルトンで録音したかった僕はドリームレッツに頼んで4曲程彼のキーに合わして簡単なオケを作ってもらった。ふた月も前に送っておいたのでもう凄いメロディが出来てるのではないのだろうか?と凄く期待してメンバーの待つスタジオに移動中アルトンに尋ねてみると「まだ何も出来ていないけど、大丈夫だ」と軽く言われたのを思い出す。結局出来たのは録音の前夜で、夜中の3時に電話が鳴り「メロディが出来たから、ラップ・トップ持って来てくれ。軽くメモ録りしたいんだ」とアルトン。部屋ではパジャマ姿のアルトンがペンでリズムを取りながらラジカセでオケを鳴らし歌ってくれた、感動的な状況。僕はこの部屋に居る事を神に感謝した。
 
亡くなる少し前に彼のロンドンの自宅で僕とトミーに、「最近近くのサウンド・マンから少しレコードを分けてもらった」と言い出したアルトン。それまで最近の体調や病状等を真顔で話していた彼も、曲が流れ出すとすぐに笑顔になり「この曲はスカリーがリードをとっているが、バックには私がハーモニーを付けたんだ」とか「これはルード・ボーイの為に私とスカリーとピーター・オースティン、あともう一人の誰かと歌ったんだ」とか当時のメンバー、スタジオの様子等を、レコードをプレイしながら楽しげに話してくれてくれた。
 
その後、2週間も経たないうちにアルトンは亡くなってしまった、目前に控えた来日も果たさぬままに……。
 
僕はレコードに針をおく度に、背筋を伸ばし両手を広げやや上向き加減で目をつむり感情を込めてマイクを握るアルトンの姿を思い出す。しかし、悲しんでばかりはいられない。きっとあの世でサー・コクスン、ローランド・アルフォンソ、トミー・マクック、ジョニー・ムーア等とセッションを始めているに違いない。

追記:追悼盤CD、Alton Ellis『Soul Train Is Coming』が12/6、ロッカ・シャッカよりリリース。

top
top
magazine

magazine

magazine

magazine

magazine

magazine

columns

GO BACK

ISLAND EXPRESS
UK REPORT
WHAT THE DEAL IS
PLAY IT LOUD
RECORDS & TAPES
RAW SINGLES
CHART
RING RINg RING
BOOM BAP
Day In Da West

columns
columns

columns
columns
columns
columns
page up!
Riddim Nation

"Riddim"がディレクションする
レゲエ番組「Riddim Nation
第19配信中!

Go RiddimNation!

nation