Unmissable Story extra pieces from Ruffn' Tuff vol.5
Clive Hunt

 
Interview by Shizuo "EC" Ishii / Translated by Mizuho Takahashi / Photo by Masataka Ishida
 

噂が噂を呼んでいる映画『Ruffn' Tuff』のために取材した数十時間のテープはインタビュー集として書籍化されているが、その書籍からもページ数の制限でもれてしまった人達や発言を採録する当コーナー。今回もクライヴ・ハントの登場だ。国際派の彼ならではのザ・ローリング・ストーンズとの出会いや当時のスタジオの様子等、マニアの間でも知られていない貴重な話を克明に語ってくれた。
 
 ストーンズの話? ストーンズとは間もなく、また一緒にスタジオに入ると思うよ。電話があったばかりだ。マイケーシャ、トゥーツ・ヒバートのマネージャーなんだけど、彼女から二週間前に俺がニュージャージーでアール・チンといる時に電話があってね。
 
 ストーンズと俺との関係はピーター・トッシュを通じて生まれた。トッシュが(ローリング・)ストーンズ・レコーズと契約した頃に俺はアメリカに住んでいたんだ。ジャマイカの音楽業界に籍を置くようになってからの期間は短かったけど、皆が俺の事を知っていたから、ニューヨークに来るジャマイカのミュージシャン連中は、ほぼ俺のところに会いに来た。トッシュはストーンズと契約後、ジェフリー・チャン、マイキー・チャン、スライ&ロビー、ロビー・リン、スティッキーなんか(註:つまり、ワード・サウンド&パワー・バンドの事)と仕事をしていた。彼らが最初にやったアルバムは『Mystic Man』だっけ? ベアーズビル・スタジオで作ったはずだ。有名な、古い、ウッドストックにあるスタジオ。ともかく、彼らが連絡してきた時、俺は誰ともオフィシャルに仕事をしていなくてね。ブルワッキーとブロンクスのスタジオであれこれやってた時期だ。連中にスタジオに顔を出せよと誘われて、そのウッドストックのスタジオへ行ってみると、ストーンズのメンバーが全員揃ってツアーのためのリハーサルをしていた。トッシュがレコーディングをしているスタジオと同じ建物でストーンズがリハーサルをしていたんだよ。複数のスタジオがある、大きなコンプレックスだ。住居スペースもあって。そこに俺とアール・チンがいて、アール・チンをジェフリー達に紹介したのを覚えてる。いいや、別にトッシュのレコーディングにアール・チンが関わっていた訳じゃないよ。そこに俺がアール・チンを連れて行っただけの話。よく覚えてないが、トッシュのあの時のアルバムには俺は関わっていないはずだ。あれ? 『Mystic Man』はトッシュのストーンズ絡みのファースト・アルバムじゃないな。その前にもうひとつあったはずだ。思い出せない(註:78年の『Bush Doctor』が1枚目。『Mystic Man』は79年で2枚目)。
 ともかくだ。俺はトラブル・シューターとしてスタジオにいた訳だけど、休憩でスタジオの外に出てくると同じく休憩中のストーンズの連中と喋ったり、リハーサル・スタジオでセッションをしたりして。トーター……インナーサークルでキーボードを弾いてるトーターを知ってる? 確か本名はバーナード・ハービーだったな。彼がその頃はストーンズのバンドで弾いていたから、こうヴァイブスが混ざり合うみたいな感じでね。
 
「Bush Doctor」
Peter Tosh

[Rolling Stones / EMI]


 そういう経緯でストーンズとは知り合った。俺はその後、ニューヨークのサム・アッシュ(Sam Ash)で働き始めた。機材や楽器のレンタルをしている店。ストーンズの連中はジャマイカに入ったり出たりしたついでにニューヨークへ来ると店へよく訪ねてきたんだ。で、次のアルバムをやる時に正式に参加しないかと誘われた。ストーンズとの関係はトッシュを通じて得たものだというのはこういう訳だよ。
 
 で、そのアルバムのセッションが終わった後に、俺が個人的に彼らと関係する事になる。一緒に出かけて飲んだり、パーティしたり。ストーンズのメンバー数人とアール・チンの仲間みたいな組み合わせで。アール・チンはご存知のようにパーティ・アニマルだから。そのプロダクションに関わっている内に、あるアイディアが出てきた。アール・チンとキース(・リチャーズ)とロニー(ロン・ウッド)の発案で。ボビー・キーズという当時ストーンズのバンドに参加していたサックスマンとアルバムのレコーディングをしようって。ボビーはバディ・ホリーやエルビス・プレスリーやエルトン・ジョンなんかともやっていたプレイヤーだ。俺達は決めた。彼のアルバムはレゲエサイドのベスト・ミュージシャンを起用して作ろう、クライブがプロデューサー、アール・チンとクライブが共同エグゼクティヴ・プロデューサーって具合に。つまり金を出しているのはこの二人だという事にしようと。実際はキースとロニーがいるから、俺とアール・チンが出資した訳じゃない。彼らがやりたい事をやるために俺らにプロデュースをさせて金を出した。彼らは彼らでやらなくちゃならない事もあるからね。
 
 ジャマイカに行って、ウイリー・リンド、バブラー、マイキー・ブー、ロビー・リンなんかと早速プロジェクトを開始した。当時のトップ・セッション・ミュージシャン達を集めて、確か、ダイナミック・サウンズでレコーディングしたな。次にジャマイカからLAに向かった。オーヴァー・ダビングをする目的で。凄くワクワクしたよ。デボンシャーにあるスタジオで、建物の中に5つもスタジオがあるようなデカイところなんだから。こっちのスタジオではダイアナ・ロスとライオネル・リッチーが「In This Love」のレコーディングを、あっちのスタジオではラリー・ポールが、その隣のスタジオではウェザー・リポートが、その反対側のスタジオの一つが俺達、もう一つのスタジオにはB.B.キングがいるっていう状態だよ。  
 
 俺達が作業を始めると、そこにいるミュージシャン達が、みんな、レゲエ・セッションをしたがって集まってきた。それでホーン・プレイヤーはブッカー・ T & MG'sからスティーヴ・ホーナーが参加しちゃったり。レコーディングを進めていく内に、結局、スティーヴ・クロッパー、ボビー・ウーマック、(ドナルド)“ダック”ダンらも加わってた。彼らは元々ブッカー・T &MG'sがブッキングした人達なんだけどね。で、彼らと「(Sittin' On) The Dock Of The Bay」や「Ninety-Nine And A Half (Won't Do)」 なんかを一緒にやって、更に、もう一度LAに集まって、あと数曲やろうという話が出た。それで再び彼らと集合してレコーディングをして、テープを俺がジャマイカに持って行ってジャマイカの連中にあっちのフレイヴァーを加えてもらった。でも、このアルバムは結局、世に出る事がなかった。
 
 それが二週間前に連絡があったんだよ。トゥーツ(・ヒバート)が今度ストーンズのツアーに加わる事になってるんだけど、聞いたところでは、ストーンズの友人の一人が、トゥーツのマネージャーをしているマイケイーシャからボビー・キーズのレコーディングの事を聞いて大興奮したらしい。で、そいつがキースやミックやロニーに話したら、彼らもコピーを保管していて、長い間、何とか形にしたいと思っていた事が分ったんだ。俺にとっても未完成品だし、彼らも完成させたい意向だった。予定ではストーンズのメンバーと俺とトゥーツとミュージシャンで10月末か11月にカリフォルニアに集まって、数曲レコーディングする事になっている。もう既に10曲録ってあるから、あと2曲ぐらい足す事になるかな。2曲共トゥーツのヴォーカルが入った曲にするつもりでいるんだけどね。
 
 このアルバムは全体としてはインストゥルメンタルなんだけど、実は収録済みの10曲の内、2曲は既にヴォーカルが入っている。歌っているのはジェリー・ウィリアムスというシンガー・ソングライター。凄く才能のある奴。彼が書いた曲で知っているのは……エリック・クラプトンがグラミーで賞を取ったアルバムがあっただろ? 息子が死んだ後にリリースした奴。そのアルバムの一つ前のアルバムだ(『Journeyman』の事)。あれで、このジェリー・ウィリアムスが半分位の曲を書いている。彼とは、俺がSONYのボビー・シンの仕事を受けていた頃、オクラホマにいるジェリーをチェックしてこいと言われて出会ったんだ。オクラホマで俺は新人探しをしていたんだけど、その縁で彼をボビー・キーズのプロジェクトに加える事になった。この企画、なんとか完結するといいけどな。本来これはボビー・キーズのアルバムだ。ジョン・レノンなんかとやっていたキーボードのニッキー・ホプキンスを始め、著名ミュージシャンがいっぱい参加している。リッチー・ジート。彼は、元はセッション・ミュージシャンだが、後に映画『フラッシュ・ダンス』のサントラをプロデュースして有名になった。これは『フラッシュ・ダンス』で有名になるずっとずっと前のレコーディングだ。そういう人達がセッションに参加している。俺自身、仕事が未完なのは嫌だし、なんといってもストーンズの協力でやり始めたアルバムだからね。彼らが実際にドラムやベースを演奏している訳じゃないが、キースとロニーが常にスタジオにいて祝福してくれ、レコーディングが進む様にしてくれたアルバムだから、完成させたい。でも、基本はボビー・キーズのアルバムだよ。[次号に続く]
 ※このインタヴューは05年9月にKingstonで行ったものである。
 
[追記]僕は、Cliveが語っているストーンズの81年の全米ツアーを、偶然にも8万を超すファンと共にLAメモリアル・コロシアムで見た。オープニング・アクトにはプリンス、ジョージ・サラグッド、J・ガイルズ・バンドというとんでもないメンツだったが、それより何よりステージ・デザインをNYの知り合いだったカズ・ヤマザキがやっていて(その後出たライヴ盤『Still Life』のジャケットも)、その巨大なセットを見て羨望と驚嘆で目まいがした。
 
 この年はスティーブン・スタンレイがトム・トム・クラブをプロデュースし、スライ&ロビーがイアン・デューリーのレコーディングに参加した年だったはずで、僕も映画『Rockers』を契約した年だった。多少の知り合いだけでこれだ。つまりレゲエがジャマイカからあらゆる道筋で関を切ったように世界に浸透してきた年だったのだろう。
 
 今、僕の手元にはこのBobby KeysのアルバムのCD-Rがある。1週間前にKingstonのホテルでCliveから手渡されたものだ。この貴重なレコーディングをリリースしたいというレコード会社のディレクターはいませんか?(石井)
 
 
■CD
「Ruffn' Tuff 〜 Founders of The Immortal Riddim」
O.S.T.

[Overheat / OVE-0100]
¥2,625(tax in)カリプソ、スカ、レゲエなど全16曲のベスト・セレクション。
 
 
■BOOK
「Ruffn' Tuff:ジャマイカン・ミュージックの創造者たち」
監修:石井“EC”志津男
A5判/192ページ

リットーミュージック¥1,890(tax in)

出演者の中から13名のインタヴュー+石井、石田、落合のエッセイ集。